【MAU】哲学【課題1】

-哲学 MAU通信

哲学 第1課題

「功利主義・カントの定言命法について説明したうえで、自分の考える善悪について述べなさい。」

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レポート本文

 (1)功利主義とは18世紀にベンサムによって創唱された倫理理論である。功利主義はふたつの原理に立脚している。一つは個人であれ集団であれ功利性こそが人間の行為の自然な目的であるという原理である。もう一つは功利性のみが唯一の倫理的基準であるべきだという原理である。人間の活動はすべて苦痛の除去と快楽の追求という二つの動因によって動かされている。倫理的判断はいかにして正当化されるのかという問題に、それは最大多数の人間に最大の幸福をもたらすものの追求によって得るとした。功利主義はかつての快楽主義に根ざしたものであるが、異なる点はその対象が「私・個人の幸福」ではなく「最大多数の人」に向けられていることである。功利主義は、人間の行為自体は善でも悪でもなく、そのもたらされた結果が善であるならば、その意図に関わらず善とする考え方である。

 (2)命法には仮言命法と定言命法の二種類があり、仮言命法とはもし何かあることを欲するならば、何かあることを行うべきであると言う場合の命法である。定言命法とは絶対的で普遍的な命令のことである。カントにとって道徳的行為とは義務感に根ざす行為である。道徳において必要とされるのは私たちがつねに義務に即して行為するということであるとされ、結果は問題ではない。幸福になりたいから善くあろうなど目的をもって行うことは道徳的ではない。道徳律を実現するための選択の理由がただ義務である場合にのみ道徳的価値があるとする。カントが定言命法で表そうとしたのは「つねに、あなたの行為が万人にとって普遍的法律となるように行為しなさい」「すべての人を目的に対する手段としてではなく、目的それ自身として扱いなさい」のふたつである。ただ義務のために理性的に行為することが定言命法の内実である。

 (3)私の考える善悪とは生きる姿勢から生まれるものである。以下に細かく説明する。
 生きることの前提として人間には幸福の追求がある。あらゆることを自分の思う通りにしたいと願う。人に尽くしたいという願いも「人のために生きる自分になりたい」という欲求である。これは善でも悪でもないが、制限がつくべきである。私が思う最大の悪とは他人に悪意をもって行動することである。出世の邪魔をしてやろう、破滅に追い込んでやろうといったことである。しかし一方でこれは幸福追求のために行われる行為でもある。自らの益のために他人を蹴落とすことを私は善とは考えない。それは、他人を害さぬ内にある全ての範囲が、人間個人に与えられた幸福追求のためにある自由であると考えるからである。人間の幸福追求の自由は、他人の幸福追求の自由を害さぬ範囲でのみ行われなければならない。これを意識して日々行動することを私は善であると考える。
 また、良くあろうとするなら人は世界の幸福追求にも目を向けるべきだと考える。社会の幸福追求について思慮しない個人の姿勢は道徳的ではない。自分の幸福追求に関連する以外の場では、他人に献身的であるべきである。それがひいては社会全体の幸福に繋がり、巡り巡って自分にも益をもたらすからである。自分にとっても社会にとっても益になるような行動を行うことは善である。逆に私が悪だと考える行いは「無関心」である。思考の結果、不利益を被る可能性があり、そのために夢の実現が不可能になる可能性があるからやめよう、というのは罪ではない。しかし自分に不利益がないのにも関わらず何もしないのは道徳的ではない。また四六時中自分の幸福追求しかしないことも場合によっては悪になる。自らの代わりがいる時には行動しなくても罪にはならない。人が倒れていても周りに他の人がいるのなら去ることは罪ではないが、周りに自分しかいない状況で去ることは罪になりえる。道徳的でありたいなら社会に対するレーダーは広くある必要があるし、悪になりたくないのなら最低限代わりがいない時には「無関心」はやめるべきである。
 また、個別の行為の善悪は結果によって定められるべきだと考える。たとえ自らの幸福追求のための行為であっても、結果的に人に感謝されるならばそれは善である。その理由は二つある。一つは、善悪の判断はした側ではなく受けた側がすべきだと考えるためで、もう一つは、一見目的のない行為のように思えても、あらゆる善意的行為は結局は自分の幸福のためだからである。社会に対して義務的に善意を働くことは、社会の治安の安定や悪意の減少につながり、巡り巡って自分を守る効果がある。結局は自分のためなのだから、自らの幸福追求の副産物として生まれた善と差は存在しない。人が助け合う社会を形成するための行いが善の本質だと考える。
 全ての善に至る行為は自分・世界の幸福追求のために行われるべきである。自分だけの幸福追求は道徳的ではない。それでは社会を形成する意味がなくなる。世界の幸福を追求し、自らの幸福を追求する場合には他人を害さぬ範囲で行うこと、このルールを守ることは社会の幸福を願うことであり、善である。そしてこれを行わないことを私は悪だと考える。

参考文献

  • 「哲学の基礎」ナイジェル・ウォーバートン 講談社 2010 
  • 「道徳を疑え!自分の頭で考えるための哲学講義」小川仁志 NHK出版 2013
  • 「哲学用語辞典」村治能就 東京堂出版 1974
  • 「哲学大図鑑」ウィル・バッキンガム 三省堂 2012

オススメの参考図書

↑↑哲学、とっつきにくい科目ですよね。水乃は「人が社会を形成する理由は、自分のためであり、個人のために帰結すると思い」このレポートを仕上げました。悪く言うと「結局は自分のため」であり、良く言うと「優しさには優しさが返って来るから」です。とりあえず色々読みましょう。上の二冊が比較的入手楽で、分かりやすいかと思います。

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